もくじ
  • 【表紙】
  • 【目次】
  • 【巻頭の言葉】
  • 発刊に当たって 戸口 晋 高23
  • 二十周年記念事業 中根 章介 高11(仮)
  • 創立二十周年を祝して 野辺 博 高24(仮)
  • 西部浦高会二十周年によせて 川野 幸夫 高13(仮)
  • 西部浦高会創設のこと 大塚 陽一 高19(仮)
  • 西部浦高会と私 西澤 堅 高11
  • 【第一部】浦高百年の森と
    共に歩む西部浦高会
  • 「浦高百年の森」づくり、に参加して 中根 章介 高11回
  • 浦高百年の森の植物希少種 牧野 彰吾 高14(仮)
  • 百年の森と西部浦高会の歩み

  • ■資料集
  • 【第二部】 座談会
  • 座談会ビデオ YouTube 2023年12月10日
  • 座談会ハイライト
  • 【第三部】 寄稿集
  • [浦高時代の思い出]
  • 教室風景 寄稿サンプル
  • 工芸に明け暮れたこと 寄稿サンプル
  • 片田舎より 髙山英治 高20回
  • 60年前の浦高時代 鈴木立之 高16回
  • サッカーに捧げる! 成井 正浩 高18回
  • 「理科」老教員雑感 江里俊幸 高21回
  • 甲子園で八重雲を 柏木浩太 高60回
  • [近況報告]
  • おせち料理は完全分業 寄稿サンプル
  • 【編集後記】
  • ウェブ記念誌発刊のこと 辻野 淳晴 高31(仮)









はじめに

 こんにちは。
 西部浦高会創立20周年記念誌の編集長を拝名している辻野です。
 皆様におかれましては、お忙しいところ玉稿をお寄せいただきありがとうございます。
 皆様の原稿が集まることによって「西部浦高会創立20周年記念誌」という大樹が徐々に成長する様子に感銘を受けております。

 これから記述するのは私自身の原稿です。
 本誌がWEB上の媒体であるという特色を生かして動画を掲載し、引用文や様々なリンクを別ウィンドウで開くように構成しました。
 完成にほど遠い作品ではありますが、新事実などを加えたり修正するという、WEB媒体ならではのメリットに縋った未完のサンプルとしてご寛恕いただければ幸いです。
 
 外部リンクを除き、それぞれリンク先掲載の戻るアイコンをクリックしていただければ本文の同じ箇所に戻ります。
 では、しばらく「仰ぎ見よ雲を見よ」にお付き合いいただければ幸いに存じます。
 








 少年期から雲好きを自任する私は、ことあるごとに雲の写真を撮ってきました。
 近年は静止画ではなく、もっぱら「Time Lapse」なるスマホアプリで動画を録っています。
 本稿のスタートとして、よろしかったら下のYouTube動画をご覧ください。

  いきなり音が出ますのでご注意ください。






 静止画で見る雲も美しいけれど、その様まさに変幻自在にして神出鬼没。光の加減で劇変する空の様相がご覧になれるでしょう。
 雲は大気と光が織りなす躍動的な抽象画です。あらためて雲の神秘性を感じます 。
 雲を
連続体として捉えることで大気の変容を反映した真の美しさが現れるのではと思います。
 2023-24年版が完成しましたら本稿に掲載させていただきます。









Ⅰ. 銀盤にまろびまどろみ雲を見る

 浦高時代が私の半生で一番雲を眺めていた時期ではなかったとしても、雲の真の美しさに目覚めた時代だったと言っていいかもしれない。


 「アートとメディアに明け暮れて」
[西部浦高会通信12号 2018] に記述した通り、高2半ばにして美術志望に進路変更した私は即座に美術部へ入部。選択科目も3年次に音楽から美術へ変更しました。
 藝大志望へと舵を切ってからは美術館を周り、雲を眺め、絵を描き続けることが受験勉強だよと居直った無限の自堕落生活へシフトしたのです。
 授業を抜けだしては美術室でデッサンや油画制作にいそしんでいました。
 普通だったら、高校在学中に予備校へ通うものなのでしょうが、そんなことはツユ知らず独学で通そうと思ったところでどうかしています。

 美術室の次に通ったのが、C棟の屋上です。
 C棟は浦高にある3つの校舎のうち、一番南に位置する建物です。



 [浦高HPより校内見取り図]

 壊れた机の上に破れたティンパニ、椅子や雑誌、廃材、体育着、誰かの絵画やノート、様々なガラクタ類が放置された踊り場を通り抜け、扉を開いたら屋上です。
 屋上はついぞ誰も居たことがないので、私一人の天上楽園ともいうべき場所でした。
 床面には銀色の防水シートが貼ってあり、なかなか幻想的な光景を演出しています。
 床面にごろりと横たわると、蒼穹に浮かぶかの錯覚を覚えます。見ゆるは視界を横切る雲のみ。
 雲をスケッチブックに移し、雑文認め、読書しながら意識はいつしか浅い奈落へと降下します。



当時撮った写真。防水シートなど見当たりませんね。どこの屋上の記憶だったのでしょうか。


 曖昧という単語がありますが、私はここで靉という字をあてて靉昧としました。
 靉とは雲がたなびく様を現した漢字です。
 雲と愛が寄り添うなんて、ぼんやり平和な雰囲気が漂っています。













Ⅱ. 雲上のファウストに迫りくるメフィストフェレス 行く手を阻むは天王川

 混雑と、トイレ求めて奔走することを避けるために私は、毎朝6時半に登校していました。
 ほとんどの日において浦高一番乗りだったと思います。
 川越線は座れるし、浦高通りも見通し抜群。
 天王川を渡るころには気分雲行き体調腹調最高潮!という具合です。

 天王川は今でこそ暗渠になっていますが、高1のときにこの川が氾濫して浦高通りが冠水しました。
 そこで一大ドラマを目撃することとなります。

 裸足になってずんずん川を渡る浦高生。私もここです。

 足止めくらって波打ち際に佇む浦高生。

 その生徒たちに
「何を躊躇しているんだ馬鹿野郎!それでもおまえら浦高生か!」
 と対岸から叫ぶ数学のY先生。

 有志でリヤカー調達して女子高生や一般男女を乗せ、何往復もしている逞しき昭和の天王川渡し隊。

 浦高出身のY先生だからこそ、ふがいない後輩にあれだけ熱い言葉を吐かれたのでしょう。
 雲の便りに50代で逝去されたと聞きました。合掌。


 カロンの愁嘆場から136mで校門に到着します。

 通常6:30に校門に達した私はまっしぐらに一階にある、浦高でひとつだけの洋式便所を目指します。
 洋式便座を占有すること1時間半。勉強読書執筆画業等が捗る捗る。
 馬上屎上というとおり、非常に効率的な勉強方法です。

 雲隠ればかりしていては進級できないぞと、襟を正して授業に出席しますと、早朝勉強の余波でしょうか。泥雲のごとく睡魔が襲ってきます。
 生涯でもっとも多様にして膨大な知識を吸収できるはずの時代に、睡魔という最大にして最強のラスボスが立ちはだかるとは…運命のシナリオは苛酷です。

 せめてもの睡魔対策には読書という手があります。
 受動的に講義を聞くのではなく、能動的に広い世界を享受すべし。ということです。

 その無駄な能動を授業に向けよ。と昔の君に伝えたい。

 ある日政経の授業中、私は机上に文庫本「ファウスト」(ゲーテ著/相良 守峯訳)を広げ、どっぷりとゲーテの世界に没入していました。
 ファウストの呻吟はわれらの葛藤。いつの時代も変わらぬ自己の存在意義を胸に問うて沈思黙考し、永遠の恋人マルガレーテへ虚空の手を差し伸べます。


 
我が魂の灯火よ、マルガレーテよ、 汝は今宵、何処に彷徨い、 その可憐なる姿を隠しているのか?


 私の激情が頂点に達しようというときケルン大聖堂の鐘いや授業終了チャイムが鳴り響きます。

 ふと前方に目を凝らすと、鐘の波動をかいくぐって政経担当I先生がつかつかと私の前に歩み寄って来るではないですか!
 広大無辺の世界より召喚途上の私にとってそのさま和製メフィストフェレスと見まがうばかり。

 ファウスト絶対絶命。あまりにも堂々と読んでいたからなあ。と嘆じつつ次に何が起こるのかと覚悟し待機するしかありません。

 I先生は机の前に腿を触れんばかりに立ち、私を見下ろします。


 「何を読んでいるのですか?」

 落ち着いた中音程で、クールな先生の声は今も忘れない。

 「ファウストです」


 「…ファウストは森 鴎外がいいですよ」


 それだけ言い残し後方扉から出ていかれました。

 ほっと胸をなでおろし、これだよこれ。と何だかやたらと感心したものです。





 詩人ゲーテのパレイドリア現象。雲に神話的人物を見出しています。

 [ファウスト第二部 第4幕より雲を語るファウスト 森鴎外/訳 ]





         




 むかしkindle版「発想の事典 筆箱の隅から時空の彼方へ」という本をリリースしました。
 中に「雲」という一項を設けて拙き賛辞を雲へを贈っています。




 雲 [仰ぎ見よ雲を見よ]  

  雲。日常的に見られるものとして大地を除けば、最大のもの。雪と並び自然界で最も白く輝くもの。
 太陽とは別の意味でこの姿は、天国や救済、純潔、無垢といった崇高な概念の母体となっているだろう。
 猿さえ夕焼け空に感動するという。雲への賛美は大脳皮質に刻み込まれた原初の記憶ということだ。

 全文



 青雲よりなお青い文章を書いているだけでは私に残されたわずかな成長も見込めません。
 本稿を記すにあたり、一回まともに雲の勉強をしてみようかと思って以下の書籍を購入しました。

 すごすぎる天気の図鑑 雲の超図鑑 荒木 健太郎 2023/3/27
 世界でいちばん素敵な雲の教室  荒木 健太郎 2018/4/8

 2冊とも同じ著者ですが、一読してあふれる雲愛と専門性に驚嘆しました。
 雲に関する総合的な知識が網羅されています。
 「雲の超図鑑」は万人にお薦めです。

 層積雲や積雲といった雲がさらに種、副変種、親雲などに分類されます。種だけでも層状層積雲とかロール層積雲などがあります。
 雲の形状を確定するためのフローチャートは圧巻です。  
 これからますます温暖化厳しくなる地球、雲を見て天候を知るスキルがより重要になるのではないでしょうか。


 一読した私は雲よ雲よといいながら雲に関することはな~んにも知らないことを悟りました。

 彼我の知識たるや“雲泥の差なり”とまとめておきましょう。
 
 以下「雲の超図鑑」に私が付箋を貼った箇所を抜粋します。


 雲の超図鑑 抜粋
 抜粋



 この世には自分の想像以上に多種の雲があるということを知ったことが一番の収穫です。


 秋雲ひとつ その名知らねど なお麗し     淳晴子


 本書でもっとも印象に残ったのは以下の記述です。

  非常に発達した積乱雲のなかには最大で600万トンの水が含まれているそうです。
  これは、なんと25mプール約1万杯ぶんの水と同じなのです。


 ゲリラ豪雨や集中豪雨の際に甚大な被害が出るわけです。
 天王川の渡し隊もきっと苦戦することでしょう。

 旧約聖書冒頭にずっともどかしく感じていた箇所があります。


  ついで神は 「大空よ。水の中の間にあれ。水と水との間に区別があるように。」
 と仰せられた。
  こうして神は大空を造り、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別された。
 するとそのようになった。

 
日本聖書刊行会昭和48年版


 光に関しては「光よ。あれ。」で済んだのに治水工事はけっこう入念です。
 空と大地や海を分けるだけでは雨の説明がつかないので、いったん水の中に大空を作るというプロセスを経たということでしょうか。

 水を上下に分けるために大空を差し込むとは、現代の建築土木工法では考えられない大技です。

 何億トンという水が天上にあることを予見していたとしたら素晴らしき慧眼です。

 しかし、聖書が誕生した中東は日本より遥かに降雨量が少ないだろうから、天上の水在庫も少なかろうに…などと考えさせられます。
 たった一回催行したノアの大洪水で三千年分の雨水は払底したのではないでしょうか。

 
水分調達のために大気の循環システム作りましたよ。そのための装置が雲でしょぷんぷん  from God









Ⅲ. 電脳クラウド 靉昧なり模糊模糊なり

 春うららかなれど初夏の暑さが忍びこようかという日の昼餉過ぎ。
 「人はなぜ雲に感動するのか」
 という問いを生成AIとして一番喧伝されるChatGPTに投げてみました。

 人はなぜ雲に感動するのでしょうか。教えてください。
 プロンプトをあえてシンプルなものにしました。

 [ChatGPT]
 雲を見て感動する理由はさまざまですが、その主な理由の一部を以下に挙げます

1.美的魅力:
雲は多様な形状や色彩を持ち、空の美しさを演出します。特に夕焼けや朝焼けの時には、雲が太陽の光を反射して美しい色彩を放つことがあります。その美しさに魅了される人々が多いです。


 全文


 

 googleの生成AI Geminiにも同じ問いかけを。


 人はなぜ雲に感動するのでしょうか。教えてください。

 [Gemini]

 人間が雲を見て感動する理由は、様々です。いくつか例を挙げ、説明します。

1.美しさ
雲は、常に形を変え、様々な色や形を見せてくれます。真っ白な綿雲、夕焼けに染まった雲、雷雲など、その美しさは見る人を魅了します。特に、空いっぱいに広がる雲は、壮大で感動的な景色を作り出します。
人間が雲を見ると感動する理由は、いくつか考えられます。


全文


 Geminiは面白いことに「ありがとうございました」とお礼を入力するとさらに新しい情報を教えてくれます。

 全文を読んでいただけると判りますが、多方面の視点から雲の美について述べたシンプルかつ的確な記述です。
 誰かの論文をまるっとコピーしてきた可能性もゼロとは言えません。
 雲の片隅さえ実際には見たことはないくせに、大急ぎでCloud上に在る現時点の残滓から手際よく掬い上げて合格基準の回答を提出してくれました。
 だから私は基本的にAIには期待しています。

 次いで「雲に感動する心理について書かれた本を教えてください」
 と聞いてみると実に興味深い回答が得られました。



 雲に感動する心理について書かれた本を教えてください

[Gemini]

雲の美しさを心理学的に分析した本としては、以下の2冊が挙げられます。
「雲の美学」(山本昌宏:著 出版:東京大学出版会)
「雲の心理学」(山口 博:著 出版:新潮社)

全文



 書籍名だけではなく内容まで要約してくれるのはありがたい。

 ところが。である。この2冊。
 Amazonにも国会図書館のデータベースを参照してもまったく存在しない!著者も存在しな~い!

 しかも、2冊の要約はほぼ同じです。
 
 与えられたプロンプトをまずは忠実に分析して一所懸命というより一瞬余裕で事実を継ぎはぎしてわずか1秒でこの世に存在しない本を2冊捏造したのです。内容を重複させてまで。
 それを若干得意げにしれっと提出する態度というか姿勢。
 なんというハルシネーション(最もらしい嘘)でしょう。
 この姿勢、私は嫌いではありません。
 いずれにしろ数年前だったら誰がこの種の雲を掴むような質問に答えてくれたでしょうか。

 プロンプト=質問の内容を少しずつ改変して「そのような本はありませんでしたよ~」とAIを追い込むことも可能でしょうが、最終的には「黙秘」へと収束するのではという予感がします。
 本稿ではネタとして、より面白い段階にとどめておきたいと思います。


 別の機会に同じ質問をしたところ、その回答は著者名こそ違うけれど、同じタイトルの本を2冊挙げる手口が同じ。答え方に一種のパターンがあります。

 これはなんだろうな 夏休みの日記が白紙なものだから8月31日にまとめて在宅、旅行、勉強、交友、クラブ活動などをバランスよく織り交ぜて一挙に31日分書いたという感じ。
 過不足なく書いて理想的な夏休みを構築したけれども、そこには真実のかけらもない。

 いえ、かけらはふんだんにあるのです。
 納期最優先だから60パーセントの真実を混ぜこんでおけ、嘘がバレたとしても自分に実害がないもんね~という姿勢なのかもしれません。







Ⅳ. アスペラトゥス雲に沈むわがアジト


 高3になり、新聞部部長に就任した私は新たなアジトを手に入れました。校舎B棟とC棟の間に建てられていた部室長屋の一画。新聞部室です。
 手に入れたというより最上級生になり、応援団取材の失敗が尾を引いて後輩部員もいないため、部室を独占して我が世の春を謳歌したという体裁です。
 級友を部室に招き入れ「経済文化パーティー」と称して授業忘れて紅茶がぶ飲み、ギターじゃかじゃかかき鳴らして即興バカ歌を高吟しつつ政治、経済、文学、芸術に関して討論する日々でした。
 応援団のくだりとその他の活動に関しては西部浦高会通信を読んでいただければ幸いです。

 [アートとメディアに明け暮れて]


 当時私は図書委員会委員長も務めていた関係で「浦高図書館を19:00に閉める」というなかなかナイスなバイトをしていました。
 バイト開始時間までは部室で過ごし、16:30からは図書館において閉館時間まで勉強しつつギャラもいただくという極めて効率の良い仕事です。

 仮に本を貸出・返却したいという奇特な人が現れれば、司書然として慇懃無礼に手続きも行いますが、放課後の図書館などまったく誰も来ません。

 眠くならない自主的な勉強に専念し、飽いたら無人の図書館を徘徊して奇怪な幻想を育てていました。

 軽い鍵束片手に書庫で珍書を眺め、埃降り積もる書棚の埃
に幻惑され、謎の会議室でソファに座り…昔の図書館は異次元と迷宮に通じたたプチ魔窟だったのです。
 謎の会議室には白い布にくるまれた応接セットとずらり1,000冊以上も「文藝春秋」と「世界」誌が並んでいます。西向きの小窓はすりガラスになっていて外から内部をうかがうことはできません。
 夏には夏の、冬には寂しく優しい光が差し込んでいたものです。

 この小部屋は、かなわぬ世界制覇を模索する浦高教師たち密談の場なのかと。

 朝の6時半から夜7時まで校内にいるなんて、私は「浦高3年間最長校内滞在記録」保持者だと思います。

 そんなバイトの合間には様々な事情により様々な蛮行を重ねていました。
 夜の廊下を水バケツ片手に互いに追い掛け回し、定時制の廊下を走り抜け、階段の上からバケツごとぶっかけて大笑しあう。
 他の日には……墓場へ持参します。

 あの頃の私は頭のタガが外れて、慢性的な躁状態だったのではないかと考えられます。
 悪友たちは卒業後しっかり社会に適応していったのに、私だけはタガがはずれたまま現在に至るまでふらふらと足元定まらぬ雲煙模糊たる雲海の中を彷徨し続けているのではないかと、芥子粒ほどの後悔と恐怖に苛まれています。


 支離滅裂かつ無茶苦茶な新聞部室の経済文化パーティーにも突然の終焉が訪れました。


 ある秋の朝。
 浦高通りを闊歩する私に向かって後輩Yが走ってきます。
 後輩Yも愚行仲間で、様々な経済文化パーティーを実践してきました。

 朝一番の余に先んずるとはなにごとかYよ。遠慮なく申してみよ。



 部室燃えちゃったよ 


 人類の80%が同じ状況で発する言葉はただひとつ。



       え



 その後に81億通り(1978年当時は42億通り)の思考パターンが生じます。
 私に関しては

 まじかよ。

 だったと思います。

 疑問符につまずきがちの両足を駆使して校門を目指します。

 正門前広場に張り巡らされた黄色いバリケードテープと消防車。

 そしてすっかり炭化した部室長屋。


 「なんてこった」です。

 靴やら衣服、ギターにお気に入りのスポーツウェア、教科書書籍に参考書、サブの鞄に保存用食材などけっこうな家財道具が炭化しました。


 “炭焼き小屋”からは黒煙が入道雲のごとく立ち昇っていた。

 と記載したいところですが、そんな雲が屹立していたら北浦和駅を出た途端に気づいていたことでしょう。
 鎮火後の炭焼き小屋からはしょぼい白煙がたなびくのみです。



 近年、作家評論家として活躍される佐藤優氏に懇親会でお会いする機会があり、
 「先輩。部室燃えちゃいましたよ。あのとき、にわかに部室に人が増えたために危機感覚えた反対組織が警告として火を放ったのではないでしょうか」
 と報告しました。

 先輩の答えは

 「ん~あの頃は近所でも放火がやたらと多かったからねえ」



  でした。








アスペラトゥス雲 噴煙雲 埼玉県某所 2014


 「クラウド」という言葉は、誰かが特別に考案したわけではなく、電脳空間を象徴する名前として自然発生したものだということです。
 
所説あるでしょうが…
 その名前は、次第に浸透し、雲のアイコンが与えられることでさらに定着しました。 
 雲という自然現象の抽象的なイメージを巧みに利用した、これしかないという絶妙なネーミングだと思います。

 また、「クラウド」の意味は群衆や多数の人々を指す「crawd」という言葉にも通じます。

 こちらも絶対的な雲、雲群から何十億もの人々がつながるネットワークを示唆して絶妙です。
 
 この対比はまた、私にホメロス「イーリアス」の戦闘シーンを想起させるのです。
 
 先の「発想の事典」では天上で神々が戦闘を行っている情景は雲から着想を得ているだろうと考察しました。

 叙事詩の中では神々にコントロールされたおびただしい群衆が戦闘を繰り広げていく。 
 
 神々の思惑と人間の情緒が噴煙のごとくうずまいて激突するクライマックスがイーリアスにあったはずです。
 今となっては何巻に記述されていたのか皆目わかりません。



 そこで教えてGemini君
 「ホメロスのイーリアスにおいて地上で人間が、同時に天上では神々が闘うシーンがあったと思うのですが引用してください」


[Gemini]

ホメロスの『イーリアス』第15巻には、地上ではギリシア軍とトロイア軍の激しい戦いが繰り広げられ、一方で天上ではゼウスとヘラが率いるギリシア軍の神々が、アポロンとアテナが率いるトロイア軍の神々と激しく戦うシーンがあります。 地上では、ギリシア軍の将軍アキレウスがトロイア軍の英雄ヘクトールを殺害し、戦いは一時的に終息します。しかし、ヘクトールの遺体を引き渡すようギリシア軍に要求したトロイア王プリアモスが、アキレウスの許しを得てヘクトールの遺体を受け取ると、ゼウスは怒り、天上の神々を戦わせます。

全文




 イーリアスには電子書籍Kindle版から検索すれば該当箇所が見つかるかもしれない。
 しかしそれでは無粋だというので15章だけ2023年の春夏で再読しましたよ。



       そらをみてますないてます



 私の見逃しか、章違いなのか、AIの華麗な創作に踊った私が悪いのか。
 過去に感銘を受けた天の神々による雲の如き乱舞と地上戦の物凄いパノラマシーンにはついぞ出会えませんでした。
 ただし、この劇的なシーンはイーリアスのどこかには存在しているので、判明した際には掲載させていただきます。


 Cloudってやっぱり靉昧を装った曲者ですね。

 AIの狡猾によってシンギュラリティの果てに全データが消されないとも限りませんが、それまではいつもAIの回答に翻弄されて人類は、AIの回答を検証するため、究極の真実を求めるために闇雲にCloud内の検索を重ねるのです。
 
 AIは残酷ではなく冷酷です。われわれをせせら嗤うほどの感情もなく、ある日数京トンにおよぶゲリラ豪雨を各種インフラにぶちまけるという事態も覚悟しなくてはなりません。
 








Ⅴ. 天使は雲に虚空に何を見る

 2年次になって浦高祭準備委員会に「新企画パート」が新設されました。
 壁画を描いたり、風船を配ったり、人間椅子でギネスに挑戦したり、その他もろもろ新しいことを提案していこうというイノベーティヴにしてエックスペリメンタルなパートです。
 どういう経緯か新企画パートを志望した私が浦高祭のシンボルとなる巨大壁画を担当することになりました。たぶん立候補したのだと思います。

 構想を練りネタを探すぞとばかり、夏休みに級友のTと1週間の北海道ワイルドツアーに出発しました。
 テント担いで礼文島の校庭、襟裳岬の神社、どこそこの駅舎前を泊まり歩く野宿旅です。

 北海道の広大な空、あふれる雲からは大いにインスピレーションをもらいました。

 と書きたいところですが、実はあまり空についての記憶がないのです。
 荷物が重くて下ばかり見ていたとか、ずっと曇りがちだったなどの可能性が考えられます。

 帰埼した私を待っていたのは、母にミシンで縫ってもらった7m×7mの画布。
 以後夏休みの半分を費やし、Tのサポートも受けながらほぼひとりで一気呵成に描き上げたのが大壁画「天使」です。
 
 最初のスケッチ通りにネオカラーとアクリル絵の具で迷いもなければ躊躇もなくばりばり描いていきました。
 やはり当時の私はなかなかの
躁状態だったと思います。
 旅行中も「ツァラトゥストラはかく語りき」を読み、歩きながら「雲から閃く稲妻よ超人よ」とか「見よ曙光を…」などとぶつぶつつぶやいていたのですから。

 この壁画は天使というアイコンを借りて、思いのたけを白布にぶつけた雲らしきものというのが主題になります。




天使の壁画はB号棟の壁に掲示されました。昭和の浦高祭風景が懐かしいですね。
高3年次の浦高祭で制作した3D壁画に関してはいずれかの機会に。



 かつて雑誌で作家椎名誠氏が書いた以下のような文章を読んだ記憶があります。
 内容は似ているけれど、文章は私の創作です。


 打ち合わせを終えて権之助坂を上る。

 ふと前方を見るとものすごい雲が屹立しているではないか!
 その姿は地上から蒼穹へと駆け上がり、頂点を見るには上体を逸らさなければならないほどだった。
 俺はおおっと唸って足を止め、しばし見事な雲を眺めた。

 眺める合間にふと周囲を見渡すと、街を行きかう人々が誰も空を見上げず、雲を見ていない!
 どうした。どうした。あの素晴らしい造形物に気づかないのか。

 刹那的かつ些末なこと、目先の心配と利害に心奪われ、生活の重圧に押しひしがれて猫背が常態となった者たちよ。
 大空を見る余裕も雲を双眸に映す余地すらないのではないか。


 俺は周囲に向かって「ほら、凄い雲だぞ見ろ見ろ」「仰ぎ見よ空を見よ」と叫びたい衝動に駆られていた。


 すみません。ツァラトゥストラの咆哮が乗り移りました。


 椎名氏とはたぶん大学時代の第2回北海道ワイルドツアーの鈍行列車で同席していると思います。

 暑くて静かな田舎駅。私はBOX席で前のシートに足を投げ出してディーゼルの出発を待っています。
 やがて額に大量の汗を浮かべた巨漢が眼鏡をかけた相棒とともに乗ってきました。
 うんせうんせと折り畳み式ロードバイクを引きずって隣のBOX席へと座り込みます。
 椎名氏が「さらば国分寺書店のオババ」でブレイクするのは1979年のことだからまだ誰も彼を知りません。
 顔や雰囲気が似ていたというのもありますが、唯一の根拠はシートにドカッと腰を下ろした途端に早川文庫 「ジョナサンと宇宙クジラ」(ロバート F.ヤング)を読みだしたということです。
 この本はマニアの間で少し話題になって私も読んでいましたが、座る前に文庫に手を出すという、間髪入れぬSF愛こそが椎名誠らしいなあと思った次第です。

 本人かどうかはちょっと調べると判るのでしょうが、人生には深く追究したくない思い出もあるのです。


 眉に大量の唾液をなすりつけ再びAI君へ質問だ。
「椎名誠氏が空を見上げず、雲を見ない人たちに憤っている文章があったと思うのですが、出典を教えてください」


[Gemini]

 椎名誠氏が空を見上げず、雲を見ない人々に憤っている文章は、2011年10月に出版された小説『そらをみてますないてます』に収録されています。
 この小説は、椎名氏の16歳から20歳までの青春時代と、世界各地への旅の物語を交互に描いた作品です。
 その中で、主人公の椎名氏は、東京の街を歩いているとき、空を見上げず、歩きスマホをしている人々を目撃します。そして、彼らに対して、次のような憤りの言葉を吐きます。





 小説の時代設定は東京オリンピック前。「歩きスマホ」などというとってつけた言葉で馬脚を現したなGemini君。
 ただし、初めて読む方はその嘘に気づくことはありません。
 ネットでポチって『そらをみてますないてます』を読みました。
 著者の私小説と言うべき位置づけで、オリンピック前の工事現場とのちの辺境の旅が交互に描かれ、なかなか面白かった。

 しかし、読んでも読んで読んでもついに雲に関する文章は現れませんでした。

 途中から目標はAIのいい加減さを嘆ずるために「どうか見つかりませんように」へと方向転換しています。

 結局その願いは成就したのですが、AIとはなんと無邪気に嘘をつくのでしょう。ハルシネーション(最もらしい嘘)は、AIの武器でもあると気づきました。

 「ばかをみましたないてます」は言い過ぎ。

 私の範疇外と言って回答を拒否したChatGPTの方が誠実だったと言えるかもしれません。
 ただ、再度書きますが、数年前だったらこの種の雲を掴むような質問を投げかける手段はほとんどありませんでした。

 Gemini君には悪意がない。嘘をついたら相手がどう思うか、どんなに傷つくかということを感ずる心もない。
 AIとは基本的にサイコパスなのです。
 数年もしないうちに真実を語る精度を幾何級数的に上げるとともに「嘘について」何千万ものデータを集め、嘘つくことの弊害実害、不合理などに対処しながら、さらにハルシネーションのスキルを磨いていくことでしょう。

 対処することと心から思うこととは違う。
 AIに“心”が生まれることはたぶん未来永劫ないだろうと思われます。

 美しい姿で空を泳ぎながらときに600万トンの水を無碍に落として地上に甚大な被害を与えようとも、人間のことなど雲粒ほども斟酌しない雲のように。
 以上はこじつけですが、Cloudはいつも人間に無関心
。


 おしまいにAIが創造した椎名誠の文章なるものを。 見てみましょう。


 空を見ない。雲を見ない。そんな人間は人間ではない。
 人間は空を見上げ、雲を見上げ、自然の驚異と美しさに触れ、
 心を豊かにするべきだ。それが人間の宿命なのだ。



 雲を見なけりゃ人間ではない。とはずいぶんな言い草ですが、Gemini君はもっともらしい解説を添えてくれました。

 人工知能であるが故の失言だろうか、椎名誠心の叫びでしょうか。

 真相が判りましたら本稿に追加します。




 高校3年次には浦高祭で3D壁画に挑戦し、躁的暴走急加速。

 美大で創ったインスタレーション造形サークルの名は「夜空雲」。

 かなとこ雲のごとく記憶は湧いて拡散してゆきます。きりがないので本稿はここまで。




 長い駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。 





仰ぎ見よう 雲を見よう
自然からの最も荘厳で華麗な贈り物が待っています




2023.11.18 能登半島西岸の雲 より早い復興を願って
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西部浦高会
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