1 まえがき
平成16年(2004)、浦和高校開学110年を記念して浦高100年の森が寄居町風布でスタートしました。当初、「風布」という名は聞きなれない地名でした。読み方は「かぜぬの」とは読まないでしょう。音読みなら「ふうふ」になりますが、「ふうぷ」とも「ふっぷ」とも言われるらしい。郵便局は「ふうぷ」と読ませます。風布集落は聞くところによれば、鉢形城が落城し浪士がここに住みついたのが始まりといいます。室町末期、応仁の乱のころ長尾景春は1476年、この鉢形城を築き、彼はここを拠点に反乱を起こしたのです。家督争いが基の主君への恨みがきっかけでした。やがて城は北条氏の支配下となります。まもなくして豊臣秀吉小田原征伐の標的となり、1590年籠城の末、落城します。戦国時代から続いた争いの結末でした。
風布での民の生活は静かなものであったと想像したいところですが、実は苦しい貧困生活を余儀なく強いられ続けていたのです。明治になり1884年、秩父事件が蜂起します。借金や増税に耐え切れなくなった多くの農民が高利貸しや役所を襲撃したのです。風布は山奥といえども秩父困民党の風は強く吹き抜けました。決して静かな山村ではなかったのです。今でこそ有料道路のインターが整備されておりますが、風布はそれこそつい先日まで波久礼駅からのハイキングコースの最奥の終点でしかなく、折り返して駅まで戻るしかなかったのです。ハイキングのお土産はミカンです。風布のミカン栽培は400年以上の歴史があるとのことです。温州ミカンの苗木を持ち帰り植えたことがはじまりと伝えられていますので、その栽培の始まりは江戸のごく初期となります。落城後30年となりますので計算は合います。ここはミカン栽培の北限ともいわれています。地形的に年間を通して栽培温度が確保できる限界なのでしょう。
ながながと風布の話になってしまいましたが、浦高とはどのようないきさつがあってこの風布と縁を結ぶことになったのでしょうか。都合よく両者を結びつける仲人がいたのではないか。この話は正直のところよくわからないのです。風布のふもとに風布館という、田舎仕立てのそば振る舞いを商う茶屋がありました(今は経営が変わっています。)。ここに立ち寄った同窓生と地元の方々との茶飲み話が事の始まりと伺っています。山林も手すきになっており貸してもよいというなにげない一言が浦高100年の森の企画を立ち上げる大きな原動力になりました。
具体的に対象区域を見学することになりました。5町歩(約5ヘクタール)は結構な広さがあります。ましてやクズのような雑草の生い茂る中の行軍は「先へ進もう」とする意思を持たないと跳ね返されてしまいそうな雰囲気がありました。いまある作業小屋の周辺を一巡してもとに位置に戻ることになりました。植物の種類についてメモを取りました。意外に種類が多いのです。すばやく100種以上を記録しました。通常の調査なら歩きながらの目視による記録ではメモが100種に達するには1~2時間かかるのがふつうです。ここの草木は種類が多いと直感しました。言葉を代えるなら、植生が豊かであると感じたのです。
作業小屋の周辺は傾斜が緩やかです。もとはクリ林だったようです。いつのころかわかりませんが、次第に管理が緩くなりあるときから栽培放棄となったいきさつがあるようです。想像するに山林に囲まれたクリ林では周囲に昆虫が多く棲んでおり、特にハチ・ハエがクリに産卵し熟すころには穴だらけになってしまうことが考えられます。農作物として無傷で製品まで持ちこたえるのは至難の業と言わざるを得ないのが実情でしょう。現に数年前に植栽されたクリも大きく成長していますが、落ちたクリはいずれも穴だらけで食べられません。住まいから遠くにあるクリ林の管理は大変なのです。クリ栽培をあきらめることで耕作放棄地になったのはうなずける事情があります。
2 植生調査の方法
浦高100年の森を進めるに当たり、その事業主体は植林の企画・植栽・維持保全活動です。この活動に併せて植生調査を実施することになりました。植生調査とは、そこにある草木の群落構造や構成種・繁殖状況等を定量的に測定し、当該地における自然環境の基本的情報を入手することです。
しかし、5ヘクタール全域を調査しようとすると時間と労力がかかりすぎてなかなか結論を得ることができません。植生調査は調査手法が確立しており、定められた調査面積を対象地内にランダムに設定し、その設定面積内の植生情報を詳細に記録します。このデータをもって周辺の植生を代表させます。ブラウン・ブランケ法といいます。
浦高100年の森の植生調査もこの手法に準じて行うこととし、具体的にはブラウン・ブランケ法の標準手法であるコドラート法で調査区の選定を行いました。コドラート法とは正方形の方形区を林内に設定することです。一辺を何mにするかについてもこまかく検討が必要となります。原則としては種数面積曲線により求めるのですが、日本地内では森林群落の高さを枠の一辺とする方法がよくつかわれます。浦高100年の森は低木林あり、高木林あり、草原あり多彩です。一つ一つ長さを変えると後日のデータ比較が煩雑になります。これを避けるため、地内一律に一辺10mの方形区を設定することになりました。つまりコデラートの調査面積はいずれも10m×10m=100m2となります。
この方形区をどこに設定するかはランダム(任意)なのですが、設定基準としては、①何らかの特徴があり、その特徴が説明できるところに設定する、②そこの群落の特徴がよく現れている地点を中心に据えること、に留意しました。
3 浦高100年の森全形
ここで浦高100年の森を俯瞰してみます。南北方向、縦に細長い敷地になっています。よくよく見ると気付くのですが全形はクジラが下を向いて口を開けています。公道が背骨のように配置されています。
図は調査報告書の抜粋です。一体彼ら(私)は何をしているのか、いぶかしがる向きもありますのでここで全貌を明らかにしておきます。地図の中に付されている記号は次項で述べる調査地点をあらわしています。01~06、11~16、21~28、31~34、42、43、I~Tの38地点です。たまたまこの地図にはA~Hの8地点が抜けています。5ヘクタールの中の合計46地点がモニタリングの対象になりました。
地点名は数字であったりアルファベットであったりしますが、これは調査開始当時、仮につけたものがそのまま固定してしまったことによります。
4 方形区の設定
右の写真は設定した方形区の調査風景です。方形区をいくつ設定するかについては全く任意です。設定の多い方がそれだけ全体像を明確にする効果はありますが、調査時間との兼ね合いになります。
全域が5ヘクタールになりますので、10地点程度では少なすぎます。加えて時間軸の設定(同じ場所を年ごとに追跡する目的)も必要になります。調査が始まったとき、特に急がれたのは植林予定地の植林前の植生調査でした。翌年以降植林地面積を確保するため現植生の伐採が始まります。植生調査は植林予定地を優先的に実施することとし、2004年度(A,B,C,D,E,F,G,H地点)8地点、2006年度(01,02,03,04,05,06,11,12,13,14,15,16地点)12地点、2007年度(21,22,23,24,25,26,27,28地点)8地点の合計28地点の方形区を調査しました。現在これらの地点は植林地になっています。
また、植林地になった後の植生の変化を追跡するため設定した方形区もあります。42,43地点がこれに当たります。植林後設定した方形の枠を崩さず定点として3年に1回くらいの頻度で植生の変化を追跡しています。
浦高100年の森の林内はすべて植林地になるわけではありませんでした。土壌的に植林に適さない急傾斜地・狭隘地・不適土壌地、積極的に保全しようとする自然林保存地・特殊植物保存地などが浦高100年の森の中にモザイク状に挟まっています。これらの地点に方形区を設定しました。キツネノカミソリ自生地(31,32,33,34地点)、ヒゲネワチガイソウ自生地(I地点)、ワニグチソウ自生地(J,L地点)、アケボノスミレ自生地(K地点)、サイハイラン自生地(M,N,S地点)、キジカクシ自生地(O,P地点)、自然林(Q,R,T地点)です。なお、Sは旧41地点です。合計16地点です。これらは植林されなかった地点ですので、方形の枠を外すことなく定点として3年に1回くらいの頻度で植生の変化を追跡しています。
方形区の設定は全部で28+2+16=46地点、つまり4600m2です。これは浦高100年の森50000m2の9.2%に当たります。
5 植物相の調査
植生調査にはコデラート法とは別に植物相の調査も併行して行います。植物相はフロラとも言います。簡単に言えば指定区域内に何種類の植物があるかという記録です。種類にこだわります。大木であっても草丈数センチの小さな植物であってもどちらも1種と数えます。また林床を覆うほど絨毯のような広がりをみせる草も、わずか1本しかない枯れ寸前の草もどちらも1種となります。完全に枯れていても種の名前が確実に確認できれば1種と数えます。
自然環境が多様であれば多くの生物が生育できると考えられます。環境とは気候条件や崖、水辺などの地形状況や土壌の状態をさします。生活タイプの違う植物がその環境に多く生育できていることは、それだけ自然環境が豊かであることを示していると考えます。例えば広い駐車場のコンクリート面にはつなぎの筋目に数種のイネ科植物を見るのみです。駐車場外れの土との接触境界では草丈のある多くの雑草を見ることができます。この場合、コンクリート面の植生は乏しいとする評価になります。
浦高100年の森の場合、車の影響がかなり大きいと考えられます。そこでいくつかに分けました。車道は公道と林内車道とがあります。林内車道は普段鍵かけになっており、車は活動日や林内保全日くらいしか通りません。車の影響は非常に小さいと考えられます。
そこで植物相は①公道沿い、②林内車道を分けました。また車道以外の区域は標高の高い順に3つに分け③北域林(作業小屋より北)、④西域林(公道より上側で作業小屋より南)、⑤東域林(公道より下側全域でもっと低い位置)としました。いずれの区域がもっとも高い指数を示すでしょうか。後半でデータを示します。
6 森林の階層構造と調査法
日本における雑木林ではよく階層構造が認められます。高木層、亜高木層、低木層、草本層、つる、のように区分されます。植栽されたスギ林やヒノキ林では自然に生える低木はすべて除伐されます。したがってこれらの人工林では階層構造は見られず、単純な単層構造となります。
階層構造の測定に当たっては、被度と樹高と胸高幹回りを測定します。被度とは枝葉が地面を覆う面積を、目測で1m2を1%と判定します。方形区全面100m2を覆うなら被度100%となります。1%未満は「+」と表記します。胸高幹回りは後で胸高断面積を求めます。
浦高100年の森には植生豊かな自然林が残されています。階層構造は明らかに認められます。階層構造は相対的に判断するものであって、数値だけで機械的に決めることはできません。以下、浦高100年の森の実情を説明します。
高木層は樹冠の構成種であって樹高およそ15~20mあります。層全体の被度と、個別の胸高幹回りを測定します。
亜高木層は樹冠のすぐ下に位置し、しっかり光を独占することはできません。樹高10mを超えることが多いようです。層全体の被度と、個別の胸高幹回りを測定します。
この下が低木層となります。低木層は樹高にばらつきがあり、整理しにくい層といえます。そこで浦高100年の森調査では低木層を便宜的に低木層Ⅰ・低木層Ⅱの2層に分けることにしました。
低木層Ⅰは比較的高い低木層であっておよそ3m前後を超える層としました。層全体の被度と、個別の胸高幹回りを測定します。
低木層Ⅱは比較的低い低木層であって人の高さを目印に2~3m以下とし、どんなに低くても木本であるものはすべて低木層Ⅱに含めることとしました。別の調査ではひざ下の木本は草本にまとめることもあるようですが、浦高はそうしません。層全体の被度と、個別の被度を測定します。
草本層は草本の集まりです。コケ類、地衣類、菌類は含めません。層全体の被度と、個別の被度を測定します。
つる層はつるをまとめます。木本のつる、草本のつるは区別しません。草本のつるはつるとしないで草本層に含める手法もありますが浦高はそうしません。層全体の被度と、個別の被度を測定します。つるといえども垂直に這い登るばかりでなく横に這って地面を覆うことも大いにあります。したがって被度は相応の大きさとなり測定は可能です。這い登るだけなら被度は1%となるでしょう。
7 階層構造変動の実測値
具体的な調査の一部を抜粋します。I地点の調査報告です。I地点の位置を説明します。風布から車で来れば、公道右にある広い駐車場に車を止めることになります。車を降りて車道を渡り右の坂を上り作業小屋に向かいますがちょっと待って! 歩き出す前に反対の左側を見てください。木の柵で囲ってある10m四方のエリアがあります。ふだん「なんだろう」で通り過ぎてしまうところですが、ここがI地点なのです。
次はI地点の2022年10月の調査結果(今回)です。同地点は2019年9月に調査してあります(前回)ので3年ぶりの調査となります。両者のデータを比較しながら調査結果が述べられています。以下引用です。
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I地点は浦高100年の森駐車場の最も近い位置にあり、埼玉県準絶滅危惧NTであるヒゲネワチろガイソウによって特徴づけられる方形区である。樹高19mのミズキ林である。
高木層はミズキのみで総胸高断面積は今回3580cm2、前回3346cm2で1.07倍の肥大成長である。
亜高木層は被度の大きい順にイヌシデ、ケヤキ、モトゲイタヤで構成されるが三者の差異はあまりない。総胸高断面積は今回541cm2、前回456cm2で1.19倍に肥大している。
低木層Ⅰのなかで被度の高いものはモトゲイタヤ、ケヤキ、アオダモであって、前二者の肥大成長は著しい。総胸高断面積は今回164cm2、前回84cm2で1.95倍の肥大成長である。
低木層Ⅱの被度は今回55%、前回55%で変わらない。構成種は今回31種、前回31種で変わらない。被度の高い順にアオキ、ミヤマウクイスカグラ、アブラチャン、アズマネザサ、コゴメウツギが被度5%以上となる。種の入れ替えはかなりある。
草本層の被度は今回21%、前回15%でやや大きくなっている。種数は今回27種、前回28種であってほぼ現状維持であるが構成種には変化が認められた。被度の最も高いものはオオバジャノヒゲでこれは前回と今回変わっていない。埼玉県準絶滅危惧NTであるヒゲネワチガイソウは草本層の被度1%を維持しており長期にわたり健在といえるが、全体容姿は貧弱であって心細い。
つる全体の被度は今回16%、前回9%で2倍に広がった。構成種は今回も前回も12種で変動はない。優占種は今回ノササゲとミツバアケビであり、前回と同じである。
全体として方形区内低木層Ⅰ以上の胸高断面積総計は今回4285cm2、前回3886cm2となっており1.10倍の肥大成長が認められる。
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以上は報告書のごく一部ですが、階層ごとの変化が感じ取れます。3年の間におよそ断面積で1割増ということです。特に低木層Ⅰの肥大成長が著しかったのですが、これは亜高木層の被度が30%と低かったために光が低木層に届き、成長を速めたものと考えられます。全体として態勢に大きな変化はなかったものの、構成種が大幅に入れ替わっている記述は気になります。草本の種は光の林床への届き具合に大きく左右されていることが予想されます。植物は動かないと思われがちですが、時間軸を縮めると結構ダイナミックな動きが繰り広げられていることを感じ取る必要がありそうです。
8 植物相の地域別比較
項目5「植物相の調査」で述べたように調査は5区域に分けて行われました。直近のデータを紹介します。
①公道沿い、2022年6月調査、在来種145種、外来種17種、合計162種
②林内車道、2021年10月調査、在来種123種、外来種11種、合計134種
③北域林、2023年6月調査、在来種145種、外来種7種、合計152種
④西域林、2022年9月調査、在来種147種、外来種3種、合計150種
⑤東域林、2021年6月調査、在来種119種、外来種3種、合計122種
各区域は調査時期や面積などの違いがあり、条件が必ずしも同じではないのですが、とりあえず数値の比較をしてみます。
種数全体を考えます。5区域の中で種数が多かったのは①③④でした。少なかったのは②⑤でした。公道は少なそうなイメージがありますが、道の側辺は意外と多様性に富んでいます。①公道沿いが多かったのは③北域林との接点で両者の共有する要素が強かったことが考えられます。②林内車道は面積の小さいことが影響している可能性があります。いずれにしても経験則から5区域は多様性に富んでいるといえます。自然林でも200種を超える例は少ないです。もっとも調査面積を拡大すれば当然種数も増えることが考えられますが、浦高100年の森の植物相調査範囲は各区域ともおよそ1ヘクタールで調査したと見積るのが妥当でしょう。
特筆すべきは外来種の侵入です。①公道沿いと②林内車道が2ケタとなりました。車道ではない3つの林内③④⑤は1ケタ台です。「外来種は車に乗って道路からやってくる」を証明しているような結果です。しかし、5区域とも外来種が非常に少ないのは驚異的です。人家のある平地で調査すれば外来種の比率30~40%は当たり前、それ以上が多いかもしれません。浦高100年の森の自然植生は質的にみて非常に高いと評価できます。
では、浦高100年の森全域には何種の植物が確認されているのでしょうか。古いデータなのですが2004~2014年の10年間データがあります。本来はここで新しいデータを出すべきなのですがまだ整理が追いついていません。失礼します。確認された植物は100科465種類です。465種の内訳は,外来種39種(特定外来生物17種を含む)8.4%,絶滅危惧種等20種(CR:1種,EN:1種,VU:2種,NT:16種)4.3%,植栽種9種2.0%,絶滅危惧種等を除く在来種397種85.4%となります。なお在来種には自然帰化種28種を含んでいます。現地は前述のようにクリ林の放置林と伝え聞くわけですが、その植生は平地雑木林の植生に比べ,比較的外来種は少なく攪乱された痕跡は少ないと考えられます。
絶滅危惧種等については,絶滅危惧Ⅰa類(CR)としてタカオヒゴタイ,絶滅危惧Ⅰb類(EN)としてカザグルマ,絶滅危惧Ⅱ類(VU)としてトモエソウ,ツクバキンモンソウ,準絶滅危惧類(NT)としてナツノハナワラビ,ヒゲネワチガイソウ,ワダソウ,アズマイチゲ,アケボノスミレ,オカタツナミソウ,ツルカノコソウ,テバコモミジガサ,アマナ,キジカクシ,ワニグチソウ,キツネノカミソリ,ササバギンラン,サイハイラン,シュンラン,ノヤマトンボが記述されました。このうち特筆すべきはサイハイランです。サイハイランは浦高100年の森全域に分布しており,これだけの広さにこれだけ多数株の分布が確認できていることは,この100年の森の大きな特徴といえます。
9 保全活動・植生調査の意義
浦高100年の森はスタートして20年になります。多くの現役OB浦高生が森の保全活動にかかわってきました。かかわって何を感じたでしょうか。私は多くの皆さんにもっと自然に関心を持ってほしいと思っています。関心を持つこと自体が自然との共生につながるものと思っています。実態を知ることで連携が生まれるのではないでしょうか。それは人と人の連携もさることながら、人と自然との連携がもっと強くなることを期待しています。
現在のところ、植生調査で得た結果をもとに、何かを始めよう、何か阻止しよう、という企画はありません。しかし、保全活動を続けること自体、植生調査を続けること自体が、自然環境に向き合う組織としての浦高の姿勢を示すものであるとの自負があります。記録を残すことは、自然との共生を育む証しでもあります。SDGsは解釈の幅が広く、どんな活動をしていてもSDGsに結びつけることができます。我々の活動もまたこの活動の一翼を担うことになっています。
植物は動かない印象が強く受け身のまま生涯を送ると思われがちです。確かに即時性を感じる場面は少ないといえますが、非生物的な水、温度、光、土壌、無機物などの環境要因に大きな影響を受け、また生物的環境要因として周辺生物からの影響を受け、同時にまた自らは周囲に働きかけを行いダイナミックな生き方をしている実態があります。
浦高100年の森でも、遺伝的に大木になれる素質を持つ樹木が林内でのせめぎあいあり、また大風・大雨などの試練ありで、大木の域に達っすることができないまま枯死する例は多く記録されています。
草本であっても、その年は発芽・成長・開花・結実のサイクルがこなせても、翌年は発芽までが精いっぱい、あるいは発芽も無理というように、その栄枯盛衰の日常が記録されています。
生活史は遺伝情報として完備していても、その形質発現がどのくらいできるかは個々の生きざまにかかっているといえるでしょう。
ときには昆虫の大群が押し寄せます。浦高100年の森ではまだ見かけませんが、サクラ類を荒らすクビアカツヤカミキリ、コナラ類を荒らすカシノナガキクイムシなどが攻めてきており、今後用心しなければならない試練が控えています。みんな頑張れよ! 声援を送りたいのです。そうしたなかで徐々に勢力が減衰している植物があります。減衰の理由はさまざまで、理由不明の減衰も数多くあり、これらは絶滅危惧種と呼ばれます。林内のサイハイランやワニグチソウなどは、準絶滅危惧と評価されておりますが、彼らは細々ながら浦高100年の森の環境に育まれて生きながらえています。消滅してしまっては元も子もありません。大事に見守りたいのです。
直近の話です。2024年7月13日に浦高生現役・OBが保全活動を行いましたが、ちょうどこの日に植生調査が重なりました。
最初それぞれ別行動だったのですが、保全活動に参加していた現役浦高生の畑中亜吏也君(高77)と佐々木陸渡君(高77)の2人が我々の植生調査に加わってくれました。植生調査は地味な活動です。保全活動もそうなのですが、昔流行した言葉に「汚い、きつい、危険」の3Kという言葉がありましたが、この言葉は我々の調査活動になじみます。「危険」はいろいろあります。すべった転んだ「怪我」はその筆頭かもしれませんが忘れてならないのが「蜂」です。そして「ダニ」です。クモの巣などはかわいい方です。まだありますが省略。お二人には大歓迎です。このような活動に興味と関心を持っていただき、机上の空論ではなく実際に参加していただいたことに感謝するものです。こういった体験も視野に入れてもらうと各自の俯瞰図が広がります。将来の進路は目先のことにとらわれることなく、是非先々のことを考えて慎重に検討していただきたい。このことを願っております。
最後になりますが浦高100年の森の立ち上げから維持管理にかかわって、地元故宮下幸子さん、坂本全平さんに絶大なご支援ご協力を賜りました。あらためて心から感謝を申し上げます。(文中、私の記憶違いがありましたらお詫びします。)
★文中に配置した2枚の花の写真は、前がサイハイラン、後がキツネノカミソリです。いずれも絶滅が危惧されている植物です。