もくじ
  • 【表紙】
  • 【目次】
  • 【巻頭の言葉】
  • 発刊に当たって 戸口 晋 高23
  • 二十周年記念事業 中根 章介 高11(仮)
  • 創立二十周年を祝して 野辺 博 高24(仮)
  • 西部浦高会二十周年によせて 川野 幸夫 高13(仮)
  • 西部浦高会創設のこと 大塚 陽一 高19(仮)
  • 西部浦高会と私 西澤 堅 高11
  • 【第一部】浦高百年の森と
    共に歩む西部浦高会
  • 「浦高百年の森」づくり、に参加して 中根 章介 高11回
  • 浦高百年の森の植物希少種 牧野 彰吾 高14(仮)
  • 百年の森と西部浦高会の歩み

  • ■資料集
  • 【第二部】 座談会
  • 座談会ビデオ YouTube 2023年12月10日
  • 座談会ハイライト
  • 【第三部】 寄稿集
  • [浦高時代の思い出]
  • 教室風景 寄稿サンプル
  • 工芸に明け暮れたこと 寄稿サンプル
  • 片田舎より 髙山英治 高20回
  • 60年前の浦高時代 鈴木立之 高16回
  • サッカーに捧げる! 成井 正浩 高18回
  • 「理科」老教員雑感 江里俊幸 高21回
  • 甲子園で八重雲を 柏木浩太 高60回
  • [近況報告]
  • おせち料理は完全分業 寄稿サンプル
  • 【編集後記】
  • ウェブ記念誌発刊のこと 辻野 淳晴 高31(仮)


U.H.S.B.B.オンステージ

 
 眩いばかりの照明が降り注いでいるステージの先端に、僕が一人で立っている。学生服の黒ズボンに白い長袖のワイシャツ。うしろ姿なのでわからないが、首には真っ赤なネクタイを締めている。肩越しに見える正面の客席は漆黒の闇。そう、これは、もう一人の「僕」がステージ後方から眺めているシーンだ。
 と、そこに、一人の女子高生が舞台袖から上がってきた。濃紺のフレアースカート。一女のマンドリンクラブの部長だ。両手に大きな花束を抱えている。でも、彼女がどんな顔でどんな髪型をしていたのかも一切覚えていない。彼女が恥ずかしそうに差し出した花束を受け取った僕は、客席に向かって、その花束を高々と差し上げた。「うお~」という叫び声とともに割れんばかりの拍手。浦高生独特の、上品ではないが心温まるリアクションだ。あれだけ招待券を一女や明の星や西高に配ってきたのに、やはり客席の大半は浦高生で埋まっていた。でも、それはそれで嬉しかった。そういえば、あの時、花束を渡してくれた一女生を、握手もせずに客席に帰してしまった。今から思うと、高校3年間で女子の手を握る唯一のチャンスだったのだが。

トランペットを吹くく著者

 1972年7月13日、埼玉会館大ホール。わが浦和高校吹奏楽部の第4回定期演奏会のワンシーンだ。
 中学で3年間野球をやってきた僕は、野球を続けるか迷った末に、未経験の吹奏楽を選んだ。自分のセンスに照らして、野球を選ばなかったのは正しい判断だったが、吹奏楽を選んだことが正しかったかどうかは何とも言えない。とはいえ、2年後、そんな僕が吹奏楽部部長を任されることになり、冒頭のシーンにつながっていく。
 生徒から「エロ爺」と呼ばれていた音楽の先生が顧問だったが、部活動には120%ノータッチ。埼玉会館でのコンサートも部員の手作りだった。
 演奏の練習さえままならないのに、1,000人を超える聴衆を集めるイベントのプロモートは、なかなか大変であった。ポスター、チケット、当日のパンフレットのデザインと印刷。その前には、スポンサーを確保して、その広告もデザインに入れ込まなければならない。そして、出来上がったポスターとチケットの配布。要は客集めである。入場料を取らなかったため税務署との関わりはなかったが、集客イベントなので消防署への届け出は必要だった。
 そんなイベントをなんとか無事に成し遂げられたのは、もちろん、多くの同級生がいたからだ。みんな元気にしているだろうか。機会があれば、一堂に会して、「團 伊玖磨『祝典行進曲』」などを高らかに演奏したい。ただし、僕のトランペットは、あのとき以来、部屋の片隅でずっと静かに眠っているままなのだが…。
 最後に浦高祭。吹奏楽部の受け持ちは、体育館イベントのフィナーレだった。多くの浦高生がキャンパスファイヤーを囲んでフォークダンスに興じている頃、僕らは、悲しみをこらえてステージに立っていた。それも懐かしい思い出。

※U.H.S.B.B.=Urawa High School Brass Band






西部浦高会