もくじ
  • 【表紙】
  • 【目次】
  • 【巻頭の言葉】
  • 発刊に当たって 戸口 晋 高23
  • 二十周年記念事業 中根 章介 高11(仮)
  • 創立二十周年を祝して 野辺 博 高24(仮)
  • 西部浦高会二十周年によせて 川野 幸夫 高13(仮)
  • 西部浦高会創設のこと 大塚 陽一 高19(仮)
  • 西部浦高会と私 西澤 堅 高11
  • 【第一部】浦高百年の森と
    共に歩む西部浦高会
  • 「浦高百年の森」づくり、に参加して 中根 章介 高11回
  • 浦高百年の森の植物希少種 牧野 彰吾 高14(仮)
  • 百年の森と西部浦高会の歩み

  • ■資料集
  • 【第二部】 座談会
  • 座談会ビデオ YouTube 2023年12月10日
  • 座談会ハイライト
  • 【第三部】 寄稿集
  • [浦高時代の思い出]
  • 教室風景 寄稿サンプル
  • 工芸に明け暮れたこと 寄稿サンプル
  • 片田舎より 髙山英治 高20回
  • 60年前の浦高時代 鈴木立之 高16回
  • サッカーに捧げる! 成井 正浩 高18回
  • 「理科」老教員雑感 江里俊幸 高21回
  • 甲子園で八重雲を 柏木浩太 高60回
  • [近況報告]
  • おせち料理は完全分業 寄稿サンプル
  • 【編集後記】
  • ウェブ記念誌発刊のこと 辻野 淳晴 高31(仮)


工芸に明け暮れたこと

まずは創立二十周年、お祝い申し上げます。

浦高時代に芸術教科で工芸を選んだことが、今も記憶に新しいとともに、その後の人生に大きく影響を与えている。 別に工芸が好きだったわけではなく、デッサンの才能が皆無なため美術は選択肢にならず、音楽は小中ずっと5だったけれど楽器も声楽も己の才能のほどは知れていたので、残った工芸を選んだ。

後に彫金で人間国宝となり浦和市名誉市民にもなった増田三男先生の授業は、厳しくも緊張に満ちた時間で、新しい世界に足を踏み入れた実感があった。
木材の見立てから始まり、道具の使い方と手入れのイロハ、全くの素人から始め、初心者の仲間入りと言えるようになるまで、実に根気よく指導していただいた。
「何々だから間違えないように」、というのが先生の口癖だった。 夏休みは工芸室で、ねじり鉢巻きランニング姿で課題制作に明け暮れ、無垢の板材を使ったテーブルなどの課題作を選ぶ仲間が多かったが、板材の見立てに自信がなく将来の反りによる変形など心配な面があり、樽木とベニヤで安直に形成した市販によくある食器戸棚を制作し、先生には大変お小言をいただいた。
我家の居間で十数年活躍してくれてはいたが。
社会人となってから、兄の岳父が指物大工だった関係で、二セットあったという大工道具箱を一式いただいた。手製の木箱に、平鉋2~3台、溝鉋や面取り鉋など際物鉋が十何台も入っており、のみ7~8本、鋸3~4本、万力数種と、およそ家具製作に必要な道具が全て揃っていたと思う。
あまりの多種多様な道具を目にして、一体このうちの何台が自分に使えるのだろうと、落ち込んだ記憶がある。

長女が小学三年生になる頃、一念発起して、手作りの勉強机の制作に着手した。
近くの島村店内で机の寸法を測り、DIYで木材の種類と販売サイズを確認し、設計図を描いて木取図を作る。
ありきたりの勉強机では意味がないので、一生使える家具として検討した結果、天板一枚を両袖机で支え、分解してリビングのテーブルにもなる、組み立て式の設計とした。

当時は土休などなく、日曜の度に、DIYで買出し、採寸・細断・加工を続け、抽斗は例の溝鉋で四面内側に溝を切ってベニヤ板をはめ込む、天板は2枚の集成材を縦剥ぎとしボンドを塗って万力で固定し継ぎ合わせる。
全面に鉋かけ仕上げと面取りを施し、紙やすりで滑らかにしてから、砥の粉で目止めし、乾燥後、ニスを塗って仕上げる。

部品が全部完成し、勉強机の形に組み上げたとたん、いつも父親の作業をじっと見ていた長女が、ぴょんぴょん飛び跳ねて歓声を上げていたシーンを今でも思い出す。
結局、次女・長男と合わせ、三人子に同じ机を制作し、長男が独立後自宅購入の際は、この机を運んで行って今も使われているようだ。
今でも鉋やのみの刃を研ぎ、鋸の目立て、台所では包丁研ぎ、日本伝統である大工の血統を、ほんのひと筋でも受け継げたかと、増田先生には感謝しかない。 没後15年となるが、ご冥福をお祈りいたします。




西部浦高会
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