もくじ
  • 【表紙】
  • 【目次】
  • 【巻頭の言葉】
  • 発刊に当たって 戸口 晋 高23
  • 二十周年記念事業 中根 章介 高11(仮)
  • 創立二十周年を祝して 野辺 博 高24(仮)
  • 西部浦高会二十周年によせて 川野 幸夫 高13(仮)
  • 西部浦高会創設のこと 大塚 陽一 高19(仮)
  • 西部浦高会と私 西澤 堅 高11
  • 【第一部】浦高百年の森と
    共に歩む西部浦高会
  • 「浦高百年の森」づくり、に参加して 中根 章介 高11回
  • 浦高百年の森の植物希少種 牧野 彰吾 高14(仮)
  • 百年の森と西部浦高会の歩み

  • ■資料集
  • 【第二部】 座談会
  • 座談会ビデオ YouTube 2023年12月10日
  • 座談会ハイライト
  • 【第三部】 寄稿集
  • [浦高時代の思い出]
  • 教室風景 寄稿サンプル
  • 工芸に明け暮れたこと 寄稿サンプル
  • 片田舎より 髙山英治 高20回
  • 60年前の浦高時代 鈴木立之 高16回
  • サッカーに捧げる! 成井 正浩 高18回
  • 「理科」老教員雑感 江里俊幸 高21回
  • 甲子園で八重雲を 柏木浩太 高60回
  • [近況報告]
  • おせち料理は完全分業 寄稿サンプル
  • 【編集後記】
  • ウェブ記念誌発刊のこと 辻野 淳晴 高31(仮)


片田舎より

 あれはもう60年近くも前のことになるのでしょうか。年数からすれば、忘却の彼方のこととして、記憶から抜け落ちてもおかしくないほど、遠い日の出来事でした。
 その日、真新しい学生服、学帽には、大イチョウの校章があり、なぜか高揚した気分で自転車にまたがり、駅(久喜駅)に向かいました。
 久喜駅からは東北線(現宇都宮線)に乗り、大宮へ。人の多さに圧倒されながら、京浜東北線に乗り換えて、北浦和へ。
 久喜の片田舎から、当時は随分と賑やかで、人の多いところへ、はるばると来てしまったという思いが募ったものでした。

 その後の久喜とのかかわりは、毎年秋(11月頃だったでしょうか)に開催された、古河マラソンを通してでした。
 コースは、旧日光街道の岩槻、久喜を経て、古河までの約50キロ。長距離は苦手だったため、久喜にたどり着いた頃には、このまま家に帰りたい思いが募ったものでした。
 そうはいっても、とにかく久喜まではしっかりできるだけ早く行かねば、という思いが実はありました。
 というのも、久喜の通過ポイントは地元の女子高校。中学の同窓生も多く、みっともない姿は見せられないという思いからでした。
 特に当時は、漠然とした気持ちでしたが、今思えば、ある人に絶対そういう姿は見せられないと思っていました。高校卒業後、大学へ通うとき、全く偶然にも、駅(久喜駅)でその人にめぐり逢ったのでした。




西部浦高会