もくじ
  • 【表紙】
  • 【目次】
  • 【巻頭の言葉】
  • 発刊に当たって 戸口 晋 高23
  • 二十周年記念事業 中根 章介 高11(仮)
  • 創立二十周年を祝して 野辺 博 高24(仮)
  • 西部浦高会二十周年によせて 川野 幸夫 高13(仮)
  • 西部浦高会創設のこと 大塚 陽一 高19(仮)
  • 西部浦高会と私 西澤 堅 高11
  • 【第一部】浦高百年の森と
    共に歩む西部浦高会
  • 「浦高百年の森」づくり、に参加して 中根 章介 高11回
  • 浦高百年の森の植物希少種 牧野 彰吾 高14(仮)
  • 百年の森と西部浦高会の歩み

  • ■資料集
  • 【第二部】 座談会
  • 座談会ビデオ YouTube 2023年12月10日
  • 座談会ハイライト
  • 【第三部】 寄稿集
  • [浦高時代の思い出]
  • 教室風景 寄稿サンプル
  • 工芸に明け暮れたこと 寄稿サンプル
  • 片田舎より 髙山英治 高20回
  • 60年前の浦高時代 鈴木立之 高16回
  • サッカーに捧げる! 成井 正浩 高18回
  • 「理科」老教員雑感 江里俊幸 高21回
  • 甲子園で八重雲を 柏木浩太 高60回
  • [近況報告]
  • おせち料理は完全分業 寄稿サンプル
  • 【編集後記】
  • ウェブ記念誌発刊のこと 辻野 淳晴 高31(仮)


「理科」老教員雑感

私は昭和53年に埼玉県の高校理科教員として採用され、管理職や高校文化連盟なども経験したが、現在、幸いにして非常勤として授業のみを担当させてもらっている。全員が有名大学進学希望の高校で物理を担当している。教員免許は「理科」なので、自分では専門外の生物を担当しても、無免許の違反ではない。けれども、もし生物を頼まれたら、それは私には無理とお断りする。そもそも、「理科」とは何なのか。「科学」との違いは。大学には「理学部、理工学部」の名称があるが。
 さて、高校で「物理」「化学」等は、教科「理科」の中の科目名である。教員免許は教科「理科」として授与される。教科・理科にある設置科目は、時代とともに変化している。(昭和にあった教科「社会」は、現在なくなって現在「地理歴史」「公民」という別の2つの教科になっている)
 学校の設置科目は、社会状況や高校進学率の増加、多様な生徒などへ対応等を考慮して文部科学省(文部省)が学習指導要領のなかで、およそ10年ごとに改訂されてきた。
 これまでの流れを見てみると、教科・理科の科目は、高校進学率が5割を切っていた昭和30年代は、「物理」「化学」「生物」「地学」だった。昭和40年には進学率は7割近くになり、その頃は「物理」「化学」にはそれぞれA、Bという難易度に差を設けた科目が設置され、学校ごとに選択していた。昭和48年には「基礎理科」が設置され、各高校の状況により選択した。これは物・化・生・地の全般と自然と人間の関わりも学ぶ、いわば小中校理科の高校版である。更に物・化・生・地の各科目は、それぞれⅠ、Ⅱの付く科目にわけられた。
昭和49年には、高校進学率は9割を超えた。その後、高校全入にどんどん近づいていく。令和元年の全国の高校進学率は95.8%(通信制を含めると98.8%)である。昭和57年度からは、理科4分野を広く浅く学ぶ、理科Ⅰが設置され、全高校で必修となった。その上に、物・化・生・地の各科目を選択して学ぶのである。平成元年度学習指導要領には、「総合理科」「物理ⅠA」「物理ⅠB」(化・生・地も同様)など13科目が現われた。現在、高校普通科(理数科はまた別)理科の科目は、平成11年、平成20年の学習指導要領改訂を経て、10科目あり、各学校の状況により実施科目を設定している。現行で、「物理」を学ぼうとする生徒は、科目「物理基礎」を履修したうえで、科目「物理」を選択することになっている。
 現在の社会における高校は、いわば後期義務教育として、理科は自然に関わる国民的科学的教養の定着を1つの目標としている。それと全く矛盾する訳ではないが、高校によっては、進路実現として、特に、難関といわれる大学の入試への対応をも求められているのは衆知のことである。
(余談:フランスでは、現在義務教育を3歳から16歳、つまり日本の幼稚園年少組から高校1年までを義務教育としている。)
 最初に、「理科」とは何なのか、という疑問を出したが、『現代化学』(2022年)6月号に哲学者の野家啓一氏の「科学と理学の間」という文が載っている。それによると、「理学」は儒教の朱子学で、事物の理を窮める方法を意味するそうで、自然界の理法(物理)と人間界の理法(倫理)を表すそうだ。
 明治初期に、西欧近代科学が移入されるときに、いわゆる自然科学を表すことばとして、「理学」が転用されたそうである。明治16年に結成された理学協会のカバーする領域が、現在の大学理工学部の領域と一致していたとのこと。
また、Scienceの語源がラテン語の「知」なので、明治初期のScienceの訳語は理学だったらしい。明治後半期になると、西欧科学が専門分化し、専門分化した個々を表す「科」を用いて、Scienceを「科学」と訳したそうである。
 村上陽一郎氏(科学史、科学哲学)は、いわゆる「科学」の本質は、「知る」ことに対する人間の要求と述べておられる。それは「何かの役に立つ」ということを前提にした行動ではないことは、確かであろう。理科は「結果」にいたるプロセスを学ぶというのも、それに繋がってこよう。
 最近のAI技術の発達・発展は驚くほどすごい。藤井聡太八冠で、注目される将棋界では、現役棋士達の日頃の研究に、将棋AIソフトは欠かせないようだ。また、科学の世界では、Google社傘下のDeepMind社が2018年に登場させ、2021年にオープンソース化されたAlphaFoldというAIソフトは、タンパク質のアミノ酸配列から、その立体構造を実用的な精度で決定するという、驚異的なものらしい。それは構造生物学の発展やさらに医薬品の開発などにも大変有効にはたらくようだが、結果として得られる立体構造とアミノ酸配列の関係は、研究者でもブラックボックスのままだそうだ。
人間の考えるアルゴリズムに基づく解法ではなく、ディープラーニングという方法で、解を見いだしてくれる、AIの登場は、「人類に大変役に立つ(だろう)」結果がでることは確かなようだ。だが、それだけに、「原因」と「結果」に対する思考のアルゴリズムの存在、つまり「知る」ことがいつのまにか希薄になっている子供・生徒達が増えないか、気になるところである。「見たい」から「知りたい」への動機が、大切と思っている。




西部浦高会